『聖霊行伝』   使徒行伝1:1〜11

 本日より使徒行伝からの説教になります。使徒行伝はその名の通り、使徒たちによって為された福音宣教の業・行いが伝えられています。福音宣教は確かに使徒たちによって為されていますが、その背後に聖霊なる神が働いています。ですから「使徒行伝」というよりも、「聖霊行伝」という人がいるほど聖霊の働きが顕著です。また「聖霊」「御霊」という語が、どの書よりも多く出てきます。今日は「聖霊行伝」というタイトルで、聖霊なる神は、キリストの証人としての私たちに対して、何をなさるのかを見てみましょう。

1.聖霊による召し
 私たちはエホバの証人ではなく、キリストの証人です。8節に「聖霊があなたがたにくだる時、…わたしの証人となるであろう」とあるからです。ある英語の聖書には、「you will be witnesses for me」とストレートに訳されています。つまり、私たちがキリストの証人になりたくてなったのではなく、聖霊の召しによるのです。逆に言うならば、私たちがなりたくなくても、聖霊が私たちを信頼し、信用して福音宣教を託して下さったのです。つまり信任して下さったのです。ですから、私たちは聖霊の期待に応えて、キリストの証人として福音宣教の使命に生きるのです。

2.聖霊によるの力の授与
 キリストの証人になるためには、福音についての知識や、効果的な福音宣教の方法を知ることは大切なことです。しかし8節を見ると、「あなたがたは力を受けて」とあるので、聖霊なる神の力を受けることの重要性が書かれています。主イエスは闇雲に、「地の果てまで、わたしの証人となるであろう」(8)と言ったのではありません。私たちは、聖霊の力によるキリストの証人なのです。しかし、私たちは一方的に命じられたかのように思い、重く受け止めることがありますが、そうではありません。何事をするにも、ただの頑張りでは長続きしません。特にスポーツは、普段のトレーニングによる力が不可欠です。同じように、私たちも聖霊の力によってキリストの証人として立つのです。

 だからと言って、すべての人がパウロのような証人になるのではありません。その人に与えられた賜物に応じて、福音宣教の業に励むのです。これを自分の力だけに頼ると重くなり、ギブアップしそうになりますが、福音宣教は今日のタイトルにあるように「聖霊行伝」です。聖霊は背後からだけではなく、前面にも立ち、上や下からも支え、私たちの宣教の業を進めて下さるお方です。時に、臆病になったり、不安に感じたりすることがありますが、自分の力による証人ではなく、聖霊の力に寄り頼む証人ですから、結果を主に委ね、キリストの証人とさせて頂きたく思います。私たちは、誰かのキリストの証人によって救われ、神の子とされ、永遠の命に与った者ですから、今度は聖霊の力によって、私たちが誰かのキリストの証人とさせて頂きましょう。

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